カズヤくんに会いたいから痩せたい

徳川カズヤくんのために痩せたい女の日記です。

ミュージカル『新テニスの王子様』Revolution Live2022に行ったら推し増しした

注意:この記事はなんと約1.8万字もあります。死ぬほど暇で意味もなく部屋を掃除するくらいしかやることがないときなどに読んでください。

タイトルこそがすべて

なのですが円盤発売日2月24日までに記憶が保たないと困るのでここに記します。

全国アニメイトにて該当公演のDVD/BDが好評予約受付中です。別にアフィリエイトでもなんでもないリンクを貼っておきます。私はテニスの王子様でコソコソ小金を稼ぐような真似はしない。むしろ永遠に金を払わせてほしいくらいだ。

https://www.animate-onlineshop.jp/sphone/products/detail.php?product_id=2153364

blu-rayのリンク、DVDと豪華版もあるよ)

私とテニスの王子様の始まり

レボライの件に触れる前に、私とテニスの王子様の歩みを記そうと思う。

平成前期に生まれた私はテニスの王子様のアニメが小学生前半に始まったド直撃世代。中学校の部活動でテニス部への入部希望がやたら増えたあの世代だ。部活はもちろんテニス部(※軟式だったが)に即日入部届を出した。幼馴染からは「卓球部の部活見学も行こうね」と言われていたが、テニス部への仮入部初日に彼女を裏切るように入部届を提出した。一人で卓球部の見学に行くのが余程嫌だったのか、彼女は私を追うようにテニス部へ入部した。後に県内では有数の選手になるほどの部長を私の裏切りが産んだのだから顧問らには感謝されたい。

練習では顧問の目を盗んで「手塚ゾーン」と言いながら相手の忖度により(ほぼ)すべての打球を手元に集めていた。この一見意味のないような行為はお互いに「手塚ゾーン」を発動することによりコントロールの向上に一役買っていたように思える。

このように当たり前のように生活に根付いていた「テニスの王子様」だったが、ここまでどっぷりになるきっかけとなったのは小学生時代の養護教諭だった。

 

小学生の養護教諭(以下先生とする。)は友人の母だった。と言ってもその友人は隣の学区の小学校に通っており、学童を通じて仲良くなったうちの一人だった。(学校関係者は自身の子供と同じ学校には赴任しないようになっているらしい。高校などはその限りではないようだが)

私を始めとした同級生らは放課後に良く保健室で談笑していた。元より血の気の多い子供で怪我など日常茶飯事*1だったこともあるが、その保健室には人気アニメのカレンダー(その当時は確かヒカルの碁だった気がする)が置いてあるなど、親しみやすさが格段に違ったのだ。

私たちは来る日も来る日も保健室で放課後を過ごし、夕方のアニメや週刊少年ジャンプの話をしていた。そんなある日、先生が私たちにとてつもない話を持ち出した。

「ジャンケンに買った人に漫画貰ってほしいんだけど」

当時小学4年生だった私たちは耳を疑った。そんな都合の良い話があるのか? 現代より格段にゆるい時代を生きてきた私たちですら、タダで都合の良いことがあるはずもないと親や教師に教えられてきた。何か裏があるのか……? と思って話を聞いていると、どうやら集めている2種類のコミックスがどちらも長期連載になってきて置く場所に困っているようだった。今とは違って電子書籍などない時代、連載がどれほど続いて本棚を圧迫するのかという不透明さはオタクたちの悩みの種だった。

もう察しの良い方はお気付きだろうが、先生が集めていた漫画は「ヒカルの碁」と「テニスの王子様」だった。そのどちらも当時覇権を獲ったと言っても過言ではない名作である。

まず先生は私たちとのジャンケンでどちらを手放すのか決めると言い出した。先生が勝てばヒカルの碁を手元に残し、私たちが勝てばテニスの王子様を手元に残すと言った。今思えばこの時点で先生はヒカルの碁に心が傾いていたように思えるが、呑気な小学生の私たちは意気揚々とジャンケンに参加した。結果、ジャンケンの初戦は先生が勝利し、私たちはテニスの王子様を手にするジャンケンへと駒を進めた。(初戦に負けたのに駒を進めるというのは妙な話だが)

5名程度で行われたジャンケン大会は、一人勝ち形式ではなく敗者が抜けていく形で数回戦行われた。そして決勝戦(?)勝ち残ったのは奇しくも私と同じ誕生日のクラスメイトの男子だった。(ちなみに私の誕生日はU-17W杯運営スタッフにして、当時アメリカ代表だった越前リョーガの代役を務めたオリバー・フィリップスと同じだ)

手に汗を握る決勝戦、神妙な面持ちでクラスメイトである彼が私に持ち掛けた。

「オレんちテニプリ10巻まであるから、10巻までなら勝敗にかかわらずあけるよ」

人生で初めての談合である。今後あってもらっても困るのだが。

だが小学生からすればコミックス10巻は大金と同義である。当時390円+税だったジャンプコミックスが10冊分ともなると、それはもうお年玉を動かすレベルの金額なのだ。(我が家のお小遣いは家事の手伝いをして稼ぐシステムだった。働こうと思えばいくらでも働けたが、子供にできる家事には限りがあっていくらでも稼ぐことはできなかった)

私はこの談合に二つ返事で応じた。形式上の決勝戦を行い、私は負けたがテニスの王子様1~10巻までを手に入れる権利を得た。

そこから私たちは来る日も来る日もテニスの王子様の話をした。10巻までしかなかったコミックスをちまちまと集め、夕方に放送されていたアニメを見て、家族が買った週刊少年ジャンプを盗み見てはクラスで話し、体育の授業でテニスをしているでもないのに技名を叫んだ。

そうこうしているあいだにテニスの王子様は様々なメディアミックスをしながら成長した。それと同じように私も成長し、ほぼすべてのテニスの王子様のコンテンツをほとんどリアルタイムで履修するオタクとなった。

テニミュと私

中学時代、丁度私立高校の見学などで行動範囲も広がり始める頃、ファーストシーズン全国氷帝が開催されることになった。その公演は中学3年生の夏に行われるようだった。ああ、もう年齢がバレてしまった。

観に行くしかない、と当時宍戸亮のリアコ*2をしていたわたしは思った。なにを差し置いても行かねばならぬ。

今は見る影もないが中学時代は神童として名を馳せていたために、トンビが鷹を生んだ状態の母親は嫌に教育熱心であった。幼稚園から公文に通わされ、とてつもない計算速度を手に入れる代わりに私は字の綺麗さを失った*3。小学校に上がってからは公文と通信教育と塾の3つを掛け持ちしていて、それは中学校のあいだ続いた。

それもそのはず偏差値は30台、ぎりぎりスポーツで高校に進学した母親から、理数科目の偏差値70の子供が生まれてしまったのだからそれはハイにもなるだろう。(※当時の偏差値です。何度でも言います。

中3の夏は受験生にとっては勝負の夏だ。ここの努力で冬の結果が決まる。でもそれは氷帝学園とて同じことなのだ。関東大会で受けた青春学園への雪辱を果たさねばならない。どうにかして私は日本青年館に行かねばならなかった。

「偏差値68以上の高校に絶対入学するので、1公演だけテニミュに行かせてください」

人生で初めての土下座だった。

ファーストシーズン全国氷帝戦を観た話をしたら1万文字は必要なので割愛するが、そこからわたしはテニミュの虜になった。当時はまだTwitterなどもなくブログが主流だったために、RSSの仕組みを勉強してキャストのブログを漏れなく確認し、オタク同士のファンサイトで情報交換をした。当時はまだmixiも盛んにやっていたような気がする。公立高校の受験を最速で終わらせ(宣言通りの高校に合格した)、その足で四天宝寺公演に行ったのも良い思い出だった。テニミュはわたしの原動力と言っても過言ではない。

バイトをしたり家事を手伝っては駄賃を生み、ファーストシーズンに通い詰めた。そのせいか高校時代の成績は散々だった。公文での数学知識の貯金は中学校ですべて食いつぶしていた。高校二年のときには数学Bで5点*4を取り、学年で下から7番目の成績になったが、クラスでは下から5番目*5だったので心情としては実に呑気なものだった。今思い出したが隣のクラスで仲の良かった仁王雅治のギャルは仁王に似てか、何事も卒なくこなすタイプだった。

セカンドシーズンはほぼ大学生活と被っているのだが、テニス部でもないのに「テニスに捧げた青春」と言う日本青年館に命を捧げた友人や、その反対にテニスでインターハイまで行った友人や、美容院で「この髪色にしてください」と増田俊樹が演じた幸村精市のブロマイドを出す友人などに囲まれながら充実したキャンパスライフを送った。頻度の差はあれど、セカンドシーズンには満遍なく行ったように思える。

問題はサードシーズンだ。いや、サードシーズン自体に問題があったわけではなく、完全にこちらの都合なのだが、私の通っていた大学は専門性の高い大学で、進級するにつれて授業や課題が忙しくなるような珍しいところ*6だった。中でも3年生の終わりから4年生の冒頭にかけて学年を跨いで取得する単位は必修科目で、それを取り零すと即留年となり卒業ができなくなる代物だった。それを乗り越えた先輩らはこぞって「3.5徹からが本番」と言い残し、私たち後輩を戦慄させた。(実際3.5徹までは行かなかったが、私は8:00~22:00まで大学で過ごしその後家で作業をして2~3時間睡眠の期間を2か月ほど過ごした)

その後、就職活動と卒業論文・卒業制作を行っていたせいで、大学後半のテニミュでの記憶はほとんどない。当時の自分に会えるとしたら、課題も卒制も論文もそんなに力を入れなくても良いからテニミュに行けと伝えたい*7

こんな感じで近年はテニミュと付かず離れずの生活をしていたが、「いろいろあるね」と言われれば「生きるって」と言いながら泣くし、「Do your Best!」と言われれば「長渕!」と叫ぶ相変わらずのオタクであった。

来たる2022年10月6日、革命の始まり

と書いたものの、私が参加したのは10月8日㈯の昼公演から。その前日に至っては天王洲銀河劇場にいました。深くは聞くな。

Twitterのフォロワー(平等院鳳凰のオタク)と前述のファーストシーズン全国氷帝戦に一緒に行ったリアルの友人(佐伯虎次郎のオタク*8だが作品全般を推している)の3連番で3階スタンド席に入った。フォロワーと私は新テニミュの1st、2nd stageを観劇済み、友人は都合がつかず1st stageの観劇のみだった。

平等院さんのオタクは「近すぎると死ぬ可能性がある」と言ってアリーナ席を望まないタイプだった。彼女はかねてから「テニミュ平等院さんが出たらミュージカルを履修します」(=ミュージカルにまで手を出すことはないだろう)と冗談を飛ばしていたが、新テニミュが発表された瞬間からあらゆるフォロワーから揶揄われる羽目になった。今回のレボライが完全に初めてのライブ公演だったので、無理して近くの席に行かずにあのライブ特有の空気を楽しんでもらえたら良いな、と思って同行した。

佐伯のオタクはドリライを円盤などで見ていて概要は知っていたが、いかんせん一番見ていたのがドリライ3rdや4thなので、昨今のドリライではモノマネ対決をしたり、エアビーチバレーをしたり潮干狩りをしないということを理解しているのかわからなかった。

当の私は中学時代の失恋を経て平古場凛のオタクになっていた。と言っても宍戸さんの頃のようなリアコ的思考ではなく、まるで沖縄のおばあのように凛ちゃんを見守りたいと思っていた。

学校に部活ジャージだけ持って行って学校ジャージを忘れたら届けてあげたいと思うし(※妄想)凛ちゃんが子供の頃にくれた肩たたき券をしわくちゃになるまで後生大事にして、もしも将来島を離れるその時が来たらそれを差し出して最後の肩たたきをしてもらいたいと思っている(※何度も言うが妄想)ので、今回のレボライは「わったーの永四郎」の勇姿を見届けるつもりで参加した。

 

のだが。

 

高校生たちが出てきた瞬間にわたしのペンライトはに色が変わっていた。

私は平古場凛のおばあで、永四郎の勇姿を見届けるはずだったのだが……?

赤はU-17日本代表カラーで、青は徳川カズヤくんのメンカラ(便宜上こう呼ばせていただく。カズヤくんの好きな色が群青色であるため。)である。左手の二本のキンブレが赤と青、右手のレボライト*9とキンブレも同じように赤と青に光っていた。

待って、小野健斗細長すぎんか???

女オタク特有の(クソデカ主語)『待って』構文が出てしまった。記憶の中の小野健斗は確かにずっと細長かった*10が、ジャージという極めてシンプルで誤魔化しの利かない衣装ではその体躯が際立っていた。

ここで徳川カズヤくんのプロフィールをおさらいしようと思う。高校2年生の17歳、身長189㎝体重79㎏→71㎏*11のBMI19.8のギリギリ普通体型である。ギリギリと書いたのは、BMI18.5未満で低体重の枠に入ってしまうからだ。重さに換算するとあと5㎏痩せると低体重となる(設定上の都合か8㎏も減量させられている前科があるので、少なくとも私は5㎏を重いとは捉えられない。)上に、適正体重は78.59㎏なのだ*12。つまりは痩せ型寄りの普通体型と言っても差支えはない。

一方小野健斗の身長は187㎝と徳川カズヤくんより2㎝低い、がこの体躯において2㎝など最早誤差に等しい。体重は公表されていないが同程度かそれ以下と推測する。(体重なんて正味毎日変わるものをプロフィールに記載しなければならない女性タレントは本当に大変だと思う。)(本題から逸れた。)

つまり小野健斗演じる徳川カズヤはフォルムがほぼ原作寄りなのだ。パーフェクトに近い。

柳蓮二を演じていた頃はデカすぎる感が否めなかった*13が、今となってはその長身も線の細さも完璧だ。

そしてなにより、ファーストの亡霊として生きてきた私がここまで狂ってしまったのは、歌もセリフ回しも当時より格段に上手くなっていたからである。ニコニコ動画隆盛期、彼がなんと呼ばれていたのか*14を知っている身としては、余りにも感慨深いものがあった。

俺たちのメイク・ア・ゲーム、1st stageの頃より上手くなってるじゃねえの……。

そりゃあ2年近く経った公演から上手くなっていてくれないと困るのだが、いかんせんファーストシーズンでは歌もダンスも演技もお上手とは言えない子たちが多かった。それに対して文句はないし、むしろ長期公演の中でどれだけの成長を見せてくれるのかを楽しむ、くらいの立ち位置のファンが多数いた。原石のようなキャストを根気強く見守る、まさにわしが育てた状態だ。(別に育ててはいない、金を払って観に行っていただけ。育てたのは上島先生たちだ。)

レボライ千秋楽公演で小野健斗本人が上島先生へ確認した「歌もダンスも演技もダメだけど、顔が良いから選んだって本当ですか?(要約)」という話にある通り、確かに当時の彼はお世辞にも、歌もダンスも演技も手放しに上手いとは言えなかった。だが、新テニ最大の魅力でもある中学生の前に立ちはだかる高校生の壁となるのならば、少なくとも中学生キャストたち以上ないしは同等の実力がなければ説得力がない。ましてやシーズンを重ねる毎にどんどん歌唱力の上がってきたキャスト陣も多い中、今後の試合展開としても重要な役どころとなる徳川カズヤという存在は生半可な覚悟でできる役ではない。

そんな徳川カズヤという役にあんな、か、カンペとまで呼ばれて揶揄われていた男がカムバックしたなんて……。

と、ファーストシーズンからの記憶が走馬灯のように駆け巡り、気付けば普通に泣いていた。

 

ここまで読むと突然レボライで感情を爆発させた女のようになっているが、実際は私が約2年に渡って現実から目を逸らし続けていただけだった。

その証拠を以下に記載する。

 

徳川カズヤにハマる予感がしていた

1st stage

2020年10月2日の友人とのLINEで、私は新テニミュのキャスト発表を爆速でスクショ共有していた。その後のやり取りでは「小野健斗か……。」という、これまた女オタクにありがちな含みのある三点リーダーで徳川カズヤの話題を終わらせていた。むしろこの時話題の中心になっていたのは、越前リョーマ役今牧輝琉くんの大出世だった。

※追記 当時のツイートが掘り起こされました

私(とその友人)は彼が出演していたアイドルものの舞台にほぼ全通していて、男の娘アイドルとしてスカートを履いている彼にファンサを沢山もらってきた。無垢な笑顔とドジに毎日ニコニコさせられていた。いい大人が毎日必死にファンサ乞食をしていた。彼の演じるキャラクターのユニットの3名がそれぞれ刀剣乱舞テニスの王子様などの人気作に抜擢されるなどして一番の出世頭となっていたことに驚いていた。

まあ通うかはわからないが、とりあえず観に行くだろうな、程度の認識だった。

※追記 むしろ別の舞台の心配をしていた

その後、あれよあれよと言う間にチケット発売になった。オタクにあるまじき愚行だったのだが、私は前職での余りの忙しさ*15にチケット先行をすっかり忘れていた。

そのときに手を差し伸べてきたのが、フォロワーの忍足謙也のオタクだった。

彼女は大学時代関西に住んでいたにもかかわらず、セカンドステージの全国立海東京公演に全通したオタクだった。別のジャンルで知り合ったのだが、私がファーストの亡霊であることは認識しており、そのジャンルでのよしみでテニスの現場*16に誘ってくれることが多い。

「チケット余ってるし相葉の出る日やから来ん?」それくらいの軽いノリで誘われた気がする。そして軽いノリで「チケット余ってるんなら行くわ」と答えた。キャストにはなるべく満員に近い客席を見てほしいと思うオタクの性だった。

日本青年館は新卒時代の職場からほど近く、これと言ってものすごく気合を入れるでもなく現場に向かった。息をするように乗り換えができて、まだまだ新卒時代のままだなあ、くらいの気持ちだった。相変わらずに外苑前の出口は狭かったが、改装のおかげか神宮方面への出口が2か所に増えていた。改装中だった新卒時代、清宮幸太郎が神宮で試合をしようものなら出入口が詰まって仕方なかったことを思い出した。ヤクルト戦へ行く人々に腹を立てながら、仕事終わりに神宮の試合を見るわけでもないのに道端で焼き鳥とビールを買って一気飲みしたことすらあった。

特に物販に並ぶなどせずに、そのまま劇場前で待ち合わせた謙也のオタクと青年館に入った。そして終演後、友人に送ったLINEがこちらである。

終演後の友人とのLINE

やっぱりテニスの王子様は私の実家だった、と言わんばかりの「テニミュめっちゃ楽しかった」という一言。親兄弟が私を裏切っても、テニスの王子様だけは私を裏切らない。だがそれよりも注目してほしい点は最下部のコメントである。

徳川カズヤくんへの言及

この日行った公演は2月5日の東京凱旋公演だった。凱旋公演といえば、もうテニミュのオタクにはお馴染みの「サービスナンバー」披露の公演である。簡単に言うと新曲が追加される。ここでは皆ユニフォームから着替え、原作準拠の私服を着て登場するのだが、週刊漫画(特に少年誌)におけるキャラクターの私服のダサさといえば筆舌に尽くしがたい。ガンダムSEEDの私服(アニメージュニュータイプの描き下ろし)も相当なヤバさだったが、「テニスの王子様 私服」と検索するとまとめサイトが多数引っかかり、そのダサさに恐れおののくネット民の反応が沢山見られる。

※そもそも週刊誌という死ぬほど忙しい連載スケジュールの中で流行に則した私服をいちいち調べて権利的に問題ないように描き起こすのは至難の業だということは想像に難くない。ダサくない私服を週刊連載で描けるのはヒロアカの堀越先生くらいのものだ。なお現在はテニスの王子様の私服のダサさも改善傾向にある。

そのためかサービスナンバーでの私服を私は「トンチキ私服」と呼んでいるのだが、徳川カズヤの私服に関しては上記のように「JOURNAL STANDARD」か「BEAMS」系のキレイ目の服だったと評している。挙句「興奮した」とまで書いているのだから、この時点で無意識に徳川カズヤを抜かりなくチェックしている証左となる。(このあともLINEは続いているが、高校生の私服について触れていたのは徳川カズヤのみだった。)

※追記

Twitterアーカイブを取得してまでツイートを掘り起こしたら、当時からやや危うさを出していたことが発覚。

観劇中に天を仰ぐな

テニミュに行ったことを出ていない俳優に伝えたキチガイ

2nd stage

これまた上記の謙也のオタクと行った2nd stageでは、連日遠野篤京の話題で持ちきりだった。6代目の乾貞治を演じていた輝馬のカムバックは、奇跡のハマり役とまで言われていた。TLでは左膝を割られた篤京の去り際のセリフ(オフマイク)をオタクたちが共有し合い、日替わりを活き活きと演じる彼と、そこに辿り着くまでの試合で見せた木手永四郎役の長塚拓海の迫真の演技に期待が高まった。

謙也のオタクは私を平古場凛の、ひいては比嘉中のオタクと認識していたために「拓海の木手は絶対に見ておいた方が良い」と私を誘い出した。処刑されるシーン*17の、全身にダメージを負った永四郎が余りにも上手すぎるという話だった。便宜上謙也のオタクと書いているが、彼女はこの2nd stageですっかり種ヶ島修二に魅せられていたので、TDCでドクターペッパーを片手に記念写真を撮っていた。罪深い男だ。秋沢くん、バレーの現場では大変お世話になりました(?)。

実際に2nd stageの1幕を観終わった私の感想がこちらだ。

女オタク構文を辞めたい

おそらく時価総額の意味もわからずに使っている。ただチケット代<内容となる素晴らしい舞台だと言いたいだけだ。相変わらず数字を盛る傾向が強い。

1幕は主に中学生選抜とU-17選抜1軍の高校生との試合だ。どう足掻いても跡部景吾くんへの忠誠心があるオタクなので、跡部くん*18が頑張っている試合は大抵こういった感想になってしまう。

そして私の観劇のフックとなった長塚拓海演じる木手永四郎だが、率直に申して大変素晴らしい仕上がりだった。篤京による13の処刑に晒される中、構えたラケットが、テイクバックしたときの右手*19が微かに震える様を見て「このこなれ感、前世でテニミュ出てただろ」と訳の分からない感想を口にした。テニミュ偏差値が余りにも高すぎる。身体に打球を受けて飛ぶモーションが完璧すぎたのだ。私が知らないだけで、人生においてそんな動きをする瞬間が誰しもあったのかと錯覚した。もしかして、処刑されたことないの私だけ? そんなはずがない。

2nd stageからの参加で、その上チームメイト(比嘉中の面々)もいない中でここまでの仕上がりに持ってきた彼にはいたく感動した。同じく亜久津も2ndからの参加だが、もとより一匹狼の側面が強い彼よりも、その手段には若干の疑問が残るものの、なんだかんだとチームの為に、沖縄の為にと動く永四郎の姿勢はチームメイトが存在しない中で確立していくことは難しかったのではないだろうか。

彼の存在は1幕だけでかなりの満足度を得た要因であった。

 

その後2幕を観劇した私の一発目のツイートがこちらだ。

あーあ

ついにママを自称し始めた。自称徳川カズヤのママ誕生の瞬間だ

そしてそのあとに続くツイート。

※鬼先輩は正しくは歌唱はなく冒頭のセリフのみ

あの医務室の悪夢をすべて忘れたかのような、純然たる「男の約束」への感想。毎公演大爆笑をかっさらっていった医務室での入江奏多の蛮行よりも先に、徳川カズヤの決意と涙の詰まった「男の約束」に感情を持っていかれてしまっている。「ごめオサ」と呼ばれ1st stageで話題の中心だったあの曲のタイトルに文句まで付けだす始末だ。

テニソニ

テニプリソニック2022-おてふぇす in 日本武道館-には、テニミュ・新テニミュからも多数の出演者が参加したが、徳川カズヤの参加は声優/俳優ともになかった。

私はもはやテニスの王子様という概念のオタクなので、どんなイベントでも、出演者が誰でも(推しがいなくても)100%楽しむことができる。だが、かつて宍戸亮のリアコとして生き、ファーストの亡霊として現世を彷徨う者としては史上最高にバイブスがぶちあがってしまった。

楠田さんが「Joy to the world」を歌ったときには胸がいっぱいになって嗚咽が漏れた。私は子供の頃に楠田さんのHPに日参するほど貼り付いていて、彼がいかにテニスの王子様というコンテンツを愛していてくれたのかを毎日のように浴びていたため、あの瞬間に宍戸亮役の楠田敏之ではなく六角中首藤聡役の楠田敏之としてステージ上に立ってくれていたことがすぐにわかってしまった。いつだって氷帝カラーの衣装を身に纏う彼がその日だけは赤のシャツを着ていた。ただそれがすべてだった。

およそ15年ぶりに加藤和樹城田優テニスの王子様の現場でデュエットしたり、W金ちゃんがデュエットしたりしてもう最高に楽しい空間のはずなのに感情が爆発して涙が出まくった。人って嬉しいときにもドラマみたいに号泣することってあるんだ、と人体の不思議をテニスの王子様に教えられた

そしてイベントも中盤、許斐先生肝入りの「Death Parade~どちらかを選べ!!~」のPVが公開された。これはU-17W杯準決勝ドイツ戦において、U-17ドイツ代表主将にして現役プロテニスプレイヤーでもあるボルクと日本代表主将である平等院鳳凰試合中に突然流れた(流れた? 書かれた?)曲である。一見すると平等院さんのモノローグのように見える演出だったが、ジャンプSQ掲載時のコマ外には「JASRAC申請予定」との文字が記載されていた。

テニスの王子様のオタクは「JASRAC申請予定」の文字が大好物だ。なぜならそれはキャラソンが出ることを示唆しているからだ。

勘の良いオタクはすぐに察した。これは平等院さんのキャラソンだ、と。

先生のお話を聞けば平等院さんのCVを務める安元さんに確認も入れずに走り出してしまったが、快く受け入れてくれたとのことだった。見切り発車でキャラソンを作る先生もすごいが安元洋貴の懐も深すぎる。あの歌詞に曲がついて、更に安元さんの歌唱も乗ったものが初公開される。その上PVはボルク戦のダイジェストのような仕上がりだそうだ。あの死闘を曲に合わせて見られるなんて、またとない贅沢な時間だ。テニスの王子様ってサイコーじゃん。平等院さんがたくさん映るんだろうな、と頭には平等院さんのオタクをしているフォロワーのことがよぎった。現地にいない彼女には配信を買うように伝えよう、と。

PVが公開された。続々とカットインするU-17日本代表の面々。平等院さんと共に血の滲む努力をしてきた戦友たちだ。なんと粋な演出だろう。

ママになっちゃった=泣いちゃったの意

No.4 徳川カズヤのカットインを見た瞬間に泣いていた(らしい)

サードシーズンの亡霊をしていた謙也のオタクはこのあとに披露されたW金ちゃんの「ホホホイ」によって長らく放心状態にされていたが、PVが流れる前は割と落ち着いた様子(と言ってもテニスのイベントでは大抵正気を失っている)だった。かと思えば隣の、平古場凛のオタクと思っていた奴が徳川カズヤに泣かされているという訳の分からない状況に直面させてしまった。10年来の付き合いでなかったら音信不通になるレベルだ。

 

ここまで、新テニミュ~レボライに至るまでの私の奇行を纏めると、どう考えても徳川カズヤに心乱されているのだが、私は頑なに「徳川カズヤくんのママ」を自称し続けていた。これは単純に、20年以上応援している作品で、もう10年以上推しているキャラクター(平古場凛)が存在するのに今更推し変なんてできるか、という凝り固まったプライドの現れだと考えられる。

そしてそれと同時に、大学の同期にいた、徳川カズヤのCVを務める小野大輔の熱心なオタクのことが頭をよぎっていた。彼女は小野大輔の実家の家具屋で箪笥*20を買ったり、大学の用具を入れるバッグに白地に明朝体で「小野大輔」とだけ書かれた缶バッジ(恐らく自作)を付けていたりしたので、キャラクターを見るか声優を見るかの違いはあれど無意識に推し被りを避けたかったのかもしれない。

心の中では徳川カズヤを推している癖に、口に出すのは憚られて自分はママなのだと保険をかけていたのだ。

ロゴの入ったレシートなんて一生捨てられない

その証拠にレボライ8日の開演前物販において、私は当然のように徳川カズヤのブロマイドを購入している。これには仕事で物販に来られない友人と遠方から来る友人分の代行も含まれているが、徳川カズヤは自分用に購入した。

再びレボライ

開演時間が迫り、スタンド席に入ったときには「全体見えて良いかもね~」などと呑気に言っていたが、いざ始まってみればわたしは念のため、と持ってきていたオペラグラスを構え続けていた。久しぶりに野鳥の会をした。父親が仕事かなにかで使っていたオペラグラスは古い割に性能が良くて助かった。

左右に2本ずつ持っていたペンライトは利き手である左手に3本を集約し、右手にはオペラグラスを構えた。自慢ではないが私は利き手の握力が40㎏もある*21ゴリラのような女だ。そして手もでかい。キンブレを3本まとめて鷲掴みにするポテンシャルは十分にあった。だが利き手ではない右手はオペラグラスを構え続けると段々と震えてきた。クソ、こんなことなら柘植コーチのサーキットメニューをちゃんとこなしておくべきだった。自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。

中学生たちの出番が来ると正直ほっとしている自分がいた。なぜならオペラグラスを構える必要がないからだ。私は野鳥の会をするのも好きだが、なによりペンライトを振ることも大好きだった跡部くんのオンステージなんかはもうかつてのドリライの姿を見たようでとてつもなくテンションが上がった。ブギウギの「チャラリ~~~~~ン」という音を聴くために生きていると言っても過言ではない。オタクたちのペンライト捌きもかなり統率が取れているように見え「コレだよコレ!!!」と心のなかでキマってしまったヤク中のように叫んだ。一方ジャズ調の「アサシン」では類を見ない程にオタクのペンラが乱れていた*22。これがツキさんの精神的重圧(プレッシャー)ってわけね……。おもしれー男。

 

2度のトークコーナーを挟んで上島先生が「平等院さんよぉ」と曲フリをした瞬間、いまだかつてないほどの緊張が走った。徳川カズヤくんの持ち歌がまだ披露されていない上に、その曲が平等院さんとの試合のものだったからだ。

案の定「大海原」から始まるメドレーで平等院さんとの試合の再現が始まった。センターステージでまだライトも付いていない中、オペラグラス越しに暗闇から徳川カズヤを探し出すことに一生懸命だった(ひょろ長いのですぐに見つかるが)。

「大海原」で平等院さん率いるGenius10がカズヤくんを囲み剣で切り付け始めた辺りから「もうこれイジメだろ」と思ってしまっていたので、かなり徳川カズヤサイドに偏った感情を持っていたことは確かだ。「阿修羅の神道ブラックホール」はもはや記憶を失っている。あとから配信を見ることで記憶を取り戻すなどした。

そして問題の(?)「男の約束」では、相変わらず入江奏多が大暴れしていた。医務室の悪夢を思い起こさせる無茶苦茶なイチャモンは会場を沸かせた。「人の時間を……何だと思っているの!?」という激詰めは、原作のどこにも存在しないはずなのに妙な説得力があった。恩返しの時期をはぐらかす徳川カズヤくんは、毎公演こうしているらしかった。TLでも恩返しの動向がつぶさに共有されていることは知っていた。会場の誰もが「徳川カズヤの恩返しを待っている」状況だった。というか令和の世になっても天国地獄大地獄だのエッチスケッチワンタッチだので大盛り上がりしてるのはテニスの王子様界隈だけ!

 

もうほかの曲の記憶がないので(正直でなにより)客降りでの感想を記そうと思う。

アンコール曲の客降りでは、奇跡的に前方が通路だったためにたくさんのキャストが私たちの前を通った。その頃にはかろうじて「比嘉中のオタク」としての私が息を吹き返し、永四郎が前を通るときに紫のペンライトを振って指差しファンサを貰った。

また、君島育斗ことキミ様は3連番の私たちにそれぞれ違う形のハートマークを3種類作り、コートのポップスターとしての真髄を見せつけてきた。その後ろを歩く徳川カズヤくんは2階席側を見ていたので、一周回って命拾いしたと思っている。あの距離でファンサを食らったらもう避けらんねえのだ。私に気付かないでいてくれてありがとう。

 

終演後には相変わらずLINEで友人に報告を入れていた。

恋してる女子中学生のムーブじゃん

思い返せば私の推しは黒に近い青髪の男が多かった。メンカラも青が多い。あとついでにいうと高身長の男も好きだ。あの眼鏡のヴァンパイアも前日に銀河劇場まで見に行った野球部のピッチャーも暗い青髪で高身長だった。家には青色にしか光らないペンライトが何本もある。これはもう八方塞がりではないか。

佐伯のオタクには何度も「小野健斗"の"徳川カズヤだから好きになったんだろ」と取り調べのように詰められたが容疑を否認する容疑者のように「そんなんじゃない」と言い続けた。会場の外に出た私は落ち着きを取り戻そうと煙草を何本も吸った。喫煙所で足元に視線を落とすとフラッシュピンクの靴紐をしたシューズが目に入る。可愛いデザインだったから、とテニス専門店で働くフォロワーにわざわざ取り寄せてもらったテニスシューズだ。一度はサイズがないからと断られた翌日に「偶然そのサイズが入荷したから取り置いとく!」と奇跡的な出会いを果たしたそれはPrinceTOUR PRO Z Ⅴ CG

徳川カズヤくんのシューズであるプロホールドツアーシリーズはもうPrinceの商品ラインナップに存在しないらしかった。専門店のフォロワーはかねてより「許斐先生のシューズ・ラケットのチョイスは結構古めのラインナップだ」と言っていた。連載開始から20年以上経っていても作中時間はさほど進んでいないのだから、連載開始時のラケットやシューズのチョイスになるのは仕方のないことだ。新規のキャラばかりが新しい用具を持つわけにはいかないのだから。だがなんの因果か私はPrinceのテニスシューズを履いている。

……もう推すしかねえだろ。

昼公演を終え、3人で食事に行くために乗った京葉線で、私はべそべそと泣きながら呪詛を吐き続けていた。いずれ来るであろう卒業に怯えるのは徳川カズヤくんのオタクとしての自我の芽生えだった

もう認めた

帰宅して即配信を見直して公演に行きたい欲求を落ち着かせようとしたら、こんなにも素晴らしいものを浴びたのか、と逆にギンギンのギンになってしまった*23。あ~~~ここもっと良く見てたかったよ~~~~とか、ここでこんな顔してたのかよ! とか、ありがちな感想を一通り口に出した*24

それでも眠りに就いて翌朝は作業をしなければならなかった。なにせ原稿の締切が目前に迫っていたからだ。寿ぴ*25のように寝ながら動ければ良かったのだが、いかんせん私は普通の人間だったのできちんと眠ってからでなければ作業ができなかった。翌日はEvernoteIndesignIllustratorを弄る傍らで見逃し配信を流し続けた。作業の目処が立ち、あと1日あれば終わるか、といったところでその日は眠りに就いた。自分の執筆速度を信じるしかない。

徳川カズヤくんの夢女としての進化が日々加速する

原稿の合間にこんな戯言を呟いていたが、佐伯のオタクには「まあ小野健斗はおまえの4個上だけどね」と言われた。今はそういう話をしているんじゃない徳川カズヤくんと私の話をしている。こちとら小2からのエリート夢女*26だぞ。強めの幻覚をキメれば中学生にも高校生にも大学生にもなれるし何個も人格を作れる。

翌朝、日付にして10月10日。普段であれば平気で昼過ぎまで眠りに就くのにその日は10時過ぎに目が覚めた。起きてすぐ日課Twitterをチェックすると、幕張に連泊している謙也のオタクが朝から連ツイしていた。そのツイートに反応すると「今日来ないの?」と返事があった。

原稿の締切が明日10月11日であること、現地に行ったら恐らく間に合わないことを伝えると「割増入稿しろ」と強めの連絡が来た。締切は金で殴って倒せと言う。自分の部数的にも締切を多少ずらしたところでそこまで金銭的なダメージはない。が、チケットは手元にない。

どうすべきか。ベッドの中で頭を抱えていると彼女はあるツイートをRTした。

「徳川カズヤが千秋楽で恩返しをすると宣言」

今ならドーラ(天空の城ラピュタ)の無茶振りにも応えられる 40秒で支度するぞ

10時24分にベッドを這い出て1時間後には家を出ていた

化粧もして髪も巻いてほぼ完璧な状態で家を出た。この時点でお気付きの方もいるだろうが、私は幕張メッセからそう遠くない場所に住んでいた。車でも電車でも30分程度で着く。化粧をしながらチケットを余らせている人を探し、コテを温めている待ち時間でメッセージを送った。返事はまだだったが現地にいることが重要なので、とりあえず家を出た。無意識にギリギリ間に合う時間に目覚めた、欲望に正直な自分の身体に感謝した。あと寝る前にちゃんと風呂に入っていてくれてありがとう。朝のシャワーを省略できたのがデカい。

会場の前で待ち構えていた謙也のオタクはその場にいた他のフォロワーに「急に徳川カズヤのオタクになったフォロワー」と私を紹介した。みんな驚いていたが正直一番驚いているのは私だ

すると彼女は私をフォローするかのように「まあふぁーすてでもせかすてでもカズヤの出番全部泣いてたもんなあ」と言った。あの頃の私は過去のキャストがカムバックしたことに感動して泣いていたと思い込んでいたが、普通に2年前からMajiでKoiしていたっぽかった。そういえば魅惑!誘惑!進藤学!!!こと学さん演じる柘植コーチが出てきたときは涙など欠片も流れていなかった。

赤線部分はすべて謙也のオタクの証言

一番最初に声をかけた人からチケットを譲ってもらえることになり、顔合わせに行くとその人もファーストシーズンのオタクだった。もうどうにでもなれと「徳川カズヤの恩返しのために来ました」と言うと「それは見届けなければ! チケットのお譲りが間に合って良かったです」と笑ってくれた。テニスの現場は基本的に悪い人がいない(限りなく少ない)。これも許斐先生という神の御加護だ。

そしてチケットを譲ってくれたというだけでサイコーなのに、彼女はアリーナ席のチケットを譲ってくれたのだ。神の信徒も神に近付くのか? 前回は3階席からの野鳥の会だったので、正直メインステージ側に立たれるといくらオペラグラスといえどもそこまで精密に確認することはできなかった。メインステージ側で見えなかった部分を補完しよう、と千秋楽も野鳥の会となることを決めた。千秋楽配信では無事に「俺たちのメイク・ア・ゲーム」でペンラを振るのを早々に諦めてオペラグラスを構える私が映り込んでいた

内容に関しては前述の通り語彙が消え去ってしまっているので割愛するが、後半の見せ場とも言える「大海原~男の約束」で起こった出来事を記そうと思う。

平等院さんの追撃を逃れメインステージ側に逃げるカズヤくんをオペラグラスで追尾していると、視界の端に誰かの視線を感じた。その頃センターステージでは平等院さんと捌け際のG10の面々がおり、人数にして1:9だった(G10なのに10人いねえじゃんとか言うな)。

その時の視線の向き

人の視線ってこんなに直角に交わることがあるのか。

私の周りに徳川担が少なかったせいか、周囲のほとんどの人がセンターステージに熱い視線を送っていたためにひとりだけ身体の角度がおかしい奴みたいになってしまった。それでも私は苦しむ男が大好きなので、構わず徳川カズヤくんを観察していたのだが、だんだんと自分のデカさに申し訳なさを抱くようにすらなった。デカ女が視界の真ん前にいて本当にゴメンな……。こっちも必死なんだ……。

そして肝心の恩返しであるが以下の通りだった。

恩返しは次のレボライに持ち越しとなった
義で世界を獲って早々に恩返ししてほしい

最近は「男の約束」で徳川カズヤくんに微笑みかけられる入江奏多に対してどうしようもなく嫉妬に狂うようになってきた。照れ隠しのようにガットをいじりながらはにかむのはやめてくれ。死んでしまうから。あと「大海原」でボコボコにされている中で平等院さんに不敵に笑うのも生意気な頃の徳川カズヤの波動を感じてしまっておかしくなりそうだ。

もはや入江奏多に勝ちたいとさえ思うようになってきた。おまえいつまで同じ部屋にいるんだよ。いい加減譲ってくれよ(?)

私の検索履歴は今現在こうなっている。

千葉市の良いテニススクールがあれば教えてください

入江奏多に勝つにはテニスしかないのだ。高校以来のテニスを始めてコロナ太りから脱却するぞ。(ゆえのブログタイトルである)

あと原稿は終わらず新刊は落ちた。

帰宅後ほぼ24時間、配信期限ギリギリまで見逃し配信を見ていたせいである。悪いのはすべて私です。

テニミュを観に行ってもSQに3話掲載する許斐先生ってまじですげえや

 

*1:小学生の頃に学校の目の前で左膝を割ったことがある。ゆえに遠野篤京のことを他人事とは思えない。

*2:学プリの宍戸ルートで幾度となく鳳長太郎に恋路を阻まれ、泣く泣く推し変した。彼の言った「悪ぃな。長太郎と約束があるんだよ」は今でも私の心に深く突き刺さっている。

*3:小学校の成績表の「字がていねいに書けています」という項目についぞ〇が付くことはなかった。小学校5年生で中学3年生までの数学をすべて終わらせ、公文の事務局から高校数学の教科書をもらったような記憶がある。

*4:ベクトルの問題で図形をなぞりまくって、小問1と2の回答(確か公式を使う)を解かずに3問目だけ正解していた。他は白紙だった。

*5:保健体育が学年4位、家庭科が学年1位だったためと思われる。副教科でしか点数を稼げない高校生だった。

*6:一般的な大学では1・2年次に必修科目がほとんど終わるそうだが、うちの大学は4年にも必修科目がバンバンあった。

*7:おまえは教授推薦で入社した新卒の会社を1年で辞めるのだから就活なんてどうでも良いぞ。

*8:全国大会での一件はお互いに譲れない部分があるため互いに口にはしない。

*9:公式が頑なにそう呼ぶので……どう見ても松明なのだが……。

*10:近年間近で見かけたのはステフェス2020でのF6チョロ松役だった。その時も細長かった。

*11:テニスの王子様10.5巻においては79㎏だったが、同身長の平等院さんとの体格差を強調するためか、のちに71㎏に変更された。平等院さんの体重をカズヤくんより重くする方向ではだめだったのだろうか。

*12:だから体重を減らしてほしくなかったのだ。スポーツをやっている上で体重と筋力はある程度重要な関係だ。世界を獲るには筋力アップは避けて通れない。

*13:柳蓮二の身長は181㎝。

*14:今でも「小野健斗」と検索するとサジェストに出てくるあだ名である。字幕で散々弄ばれていた。

*15:畑は違うがエンタメ系の業界だったため、酷いときは27連勤もした。

*16:テニソニも彼女と連番した。

*17:テニスの王子様には理屈など通用しない。処刑のシーンがあるったらあるんだ。

*18:私は跡部くんのクラスメイトなので彼をこう呼ぶ。

*19:余談だが私はテイクバックのときに身体の前に構えた利き手と反対の手が大好きだ。あとは片手バックハンドのフォロースルーも。

*20:サンホラのオタク以外で箪笥を買うことがあるのかよ。

*21:利き手じゃなくても36㎏ある。

*22:あの曲のペンラの振り方がわかる人は連絡ください。

*23:うちらのハートはパーカッションなので。

*24:信じられないかもしれないが、私はあまりにも独り言が酷すぎて二人暮らしをしていると勘違いされたこともあるくらいに家では常にひとりで喋っている。

*25:毛利寿三郎のことを私はこう呼んでいます。

*26:私は「ゆめおんな」と読む派ですがみんなはどうですか? 「ゆめおんな」の方が妖怪感が強くて自戒を込められていると勝手に思っている。